新庄剛志さん
新庄剛志さんが15年ぶりに日本野球界復帰を目指してトライアウトを受けました。
結果は残念ながらどこの球団も取らなかったそうです。
この14年間、野球から離れていた新庄さんが1年前に現役復帰を思い立ち、公約してこの一年間頑張ってトレーニングを積んでいました。
48歳。なかなかできることじゃないですよね。 さすがです。
私個人的には春季キャンプと開幕1−2か月の間だけでも契約してくれる球団があっても良いんじゃないかと・・・・・・。
絶体このコロナ禍で暗く沈んでいる日本とその球団、そして球界が盛り上がること間違いなしでした。
注目度抜群で取った球団もお金儲けできたかと思うんですが。
でも現役時代に大活躍した新庄さんを客寄せパンダみたいな扱いはできないと真面目な考えからとる球団が無かったとか。
新庄さん本人は客寄せパンダこそ望んでいたところだったと思うんですが(笑)。
阪神タイガースで11年プレーした後、2000年12月、日本人初の野手FA選手としてアメリカ・メジャーリーグに挑戦。2001年〜2003年までの3シーズン、ニューヨーク、 サンフランシスコで活躍。
日本人初のメジャー4番、日本人初の満塁本塁打、日本人初のワールドシリーズ出場など、人々の記憶に残るプレーでファンを沸かせる。
2004年には日本球界に復帰、北海道日本ハムファイターズに入団。数々のパフォーマンス、コメント、プレーで常に話題を提供しました。
かねてからの夢である「札幌ドームを満員にする」目標を達成し、ファイターズが44年ぶりの日本一に輝いた2006年10月、惜しまれつつユニフォームを脱ぎました。
2001年春、ニューヨークメッツでのメジャー初めてのキャンプ初日、私はフロリダ州セントルーシーに行きました!
クラブハウスから大勢の仲間たちとグラウンドに出てきてウォーミングアップを始めた超笑顔の新庄さんの顔を今でも覚えています。
軽く走ったりのウォーミングアップ中一緒に笑顔で話していた相手は95−97年ドジャース野茂英雄さんの相棒、マイクピアッザ捕手。
私は約10数メートル離れたところから激写しながら2人の話を聞いていました。
テカ聞こえてきました。
P:○○○って日本語でなんというんだ?
新:オ○○コ。
P:えっ、もう一度
新:(でかい声で)○マ○○!!!
そうです、新庄剛志さんのメジャー初日キャンプ、初練習前のウォーミングアップにこのような会話でリラックスしていたんです!
私はこのような放送禁止用語をま近で聞いたり,週刊文春が買いそうなあり得ない話、行動を生で見たり聞いたりする機会があるんですよ(笑)
NYメッツ時代とSFジャイアンツ時代に何度か接触したことがあるんですが、サンフランシスコ移籍後、滞在先ホテルでサインしてもらった時の衝撃は今でも忘れられないですね。
調度ドジャースとの試合で球場に向かう時でした。マッ赤のタイトシャツに素足にプラダのサンダルを履いていました。(ブログ写真画像の時)
私:すみません新庄さん、サインお願いします。とMLBボールのスィートスポットを指さしてここにお願いします!
新:あっ、はい。こっここにですか?
私:はい、お願いします。
新:サインしてくれたんですが、NYメッツ時のサインと全く違ってtsu #5、これだけなんです。このtsu#5をゆっくりと時間をかけて丁寧に書いてくれたんです!
私:絶対俺をからかっているな?
ジャイアンツに入ってサインを変えて間もない時でしたんで、絶対これは新庄剛志のサインじゃない!からかわれた! と思っていたんですね。
でもそののちこのtsu#5が日本人初メジャーワールドシリーズに出場したサンフランシスコジャイアンツ新庄剛志の直筆サインだとわかったんです。(笑)
私と新庄さんは同じ長崎生まれ、長崎もんはのぼせもんが多かとですよ。サービス精神も旺盛かと。さだまさしさんや福山雅治さん、前川清さんも長崎です。
でも新庄さんは私は年上だと思ってか、話すときはいつも紳士的に丁寧に話してくれました。 真面目なんですよね本当は。 TVウケするように、ファンを楽しませるために新庄節を炸裂させているんですよ。
やっぱり新庄剛志さんみたいなアホな選手がいないと野球界は盛り上がりませんね。
ほんと大好きなスーパースター、新庄剛志さんのこぼれ話でした。
スポギャラファンの皆様、今年はコロナで大変でしたね。
そんな中お付き合い頂きありがとうございました。
2021年が皆様にとって良い年でありますように!