行動を起こす
先日お客様からこのようなメールをいただきました。
「馬場様がこの仕事を始めてから色々なご苦労を数多く経験されているかと思います。時には辞めたいと思った事もあるかと思います。ただこの仕事を今でも継続出来ている事には何かやり始めた時から変わらない気持ち、一貫して貫いている気持ちが有るからだと思うのですが、馬場様のその気持ち(力・精神)とは何になりますか。
私には異国の地で仕事をする事は絶対無い事なので、馬場様がやり続けられている気持ちを少しでもお聞き出来れば・・・・・・」
みたいなお話というかご質問を頂きました。
本当にたまーにですが、このようにお客様から私と私のビジネススタイルにお褒めのお言葉を頂き大変嬉しく感じます。
そこで今回、私馬場晃という男がどんなヤツかを少しだけですがご紹介させて頂きますね。
長崎生まれ。片親で育てられ幼少期は小児喘息で苦しんでいたひ弱な子供でした。
18歳高校生まで故郷長崎にいて、
関東の大学を卒業後、東京の半蔵門近くのホテルで6年ほど働いておりました。
その間、楽しいことも嫌なことも、理不尽ないじめにもあいながらまじめに働いておりました。
でもいつも何か疑問を持ちながら、首をかしげながら・・・・・。
上司やお客さんらからの評判は良かったんですが、それをねたむ先輩たちにいじめられて・・・・・自分の本当の居場所ではないなと思いながら働いていました。
その当時は料理人に興味が有り、フランス語の語学学校にも通っていました。
今みたいに料理や食べ物番組など一切ない流行らない時代ですよ。
でもフランス語に挫折して・・・・・・・でもなんか日本にはいたくない自分がいて、
でも仕事を辞める勇気も日本を離れる勇気もなくて・・・・・・彼女もいて別れたくなくて・・・・・・・。
新しいことにチャレンジするって大げさかもしれませんが,勇気がいるんですよね。
何かを犠牲にすることも。
27歳の時にウジウジして自信も魅力もない私に愛想をつかした彼女にもふられて、何か自分に力が与えられたのか、ふと腰が軽くなって勇気というか思い切った自分が生まれたんですね。
そしてバッグ1つとラジカセをもって頼る人も無く渡米してきました。
なんという目的も無く、ただ長い人生の間、少しでも違う国で人生勉強というか自分をためしたいと思った記憶がありますね。
7月だったんですが、カリフォルニアの空は毎日毎日雲一つない真っ青でドライな空気、ラジオから流れる曲はいつも同じ。
パームツリーや行きかう人も笑顔で迎えてくれて。
時間がたつのがとてもゆっくりな毎日でした。
渡米の2-3か月前にバイクで事故に遭い、その時の示談金と貯金を合わせて100万円、当時の$7500が全財産でした。
英語も話せなかったんで、語学学校に通いながら今まで経験したことのないのんびりとした毎日を過ごしていました。
それはもう初めてのことばかりである意味新鮮でしたね。そのころの私はエネルギッシュでした(笑)。でも不安も半分以上有りましたね。
これからどうやって生きて行こうかと。
言葉も文化も食事も生き方考え方もそれぞれ違う異国で生きて行くことは、日本で暮らすみなさんが、明日から違う知らない県や都市で暮らしていくと同じくらい大変なんですよ。
日々貯金が減っていく中でも色々工夫してサバイバルしてましたね。ハングリー精神バリバリでしたね。
全財産が$80=8000円まで落ちた時にはさすがに凹みましたけど(笑)。
ホームシックになって寂しかったですよ。今みたいにネットや携帯電話などなかった時代ですから。
国際電話も高かったし、かけ方も知りませんでした。たまに書いたり届いたりする手紙が嬉しかったですね。
そのころ74歳のアメリカ人のおばあちゃまと82歳のおじいちゃまの家にハウスキーパーとして
雇ってもらい、離れの一部屋を与えてもらい家のお手伝いをしながら学校に通ったりしていました。
この家を見つけた私を今でも私は褒めています(笑)。
よくホームスティーと聞きますよね。通常なら業者を通して探すことでしょうが、当時の私はアイデアマンで自分で慣れない英語で履歴書を75枚作り、ビバリーヒルズとロスフェリッツという高級住宅地の
住みたい豪邸一軒一軒のポストに入れまくったんですよ!「俺を雇ってくれと」
1990年、パソコンや携帯電話とかなかった時代です。有料ホームスティーとかではなくて逆にただで住ませてもらい、食事をもらい、その代わり家の手伝いをするというお手伝いさんの仕事を自分で探したんです。
週に一度$20=2000円くらいのお小遣いをもらっていました。
日本での仕事を辞めて27歳で渡米した男ですよ。行動力がめちゃめちゃあった時ですね。
当時日本の周りの人は私のこの決断に???もっと若かったら自分も・・・・・・、むちゃな・・・・・とかいろんな否定的な意見がありましたね。
でもやりたい時がやり時なんですね。
日本人の悪いところは結果ばかり気にして、周りを気にして前に進まないこと。 年齢で判断することが多いこと・・・・・・・などなどいっぱいありますよね。
いいこともいっぱいあるけど。 アメリカでもいいこと悪いこといっぱいあるんですよね。 生きているといいこと悪いこといっぱいあるんですよね。
日本にいてもアメリカにいても、大切なことは「行動を起こす」「少しづつでも前に進もうとすること」。このことを私は学びましたね。
私がこの仕事を始めたきっかけなど話すと超長くなりますのでかなり省略させて頂きます。
ただ当時私はかわいいベイビー服を売りたいなというアイデアをもって行動していました。
そんな時ひょんなことから私の趣味であったお宝サイングッズを観た人からオーファーがあり、お店とスポーツバーをサイングッズで埋めるプロデュースをしてほしいとの依頼を受けたんですね。
それから正式に会社を立ち上げて今に至っております。その時の人が当時日本人メジャーリーガーの付き人をしていてその流れから私もその選手の手伝いをして今でも有名な元メジャーリーガーとのお付き合いも続いております。
人との出会いも大切ですね。 もちろん自分にとって良い人との出会いです。
石の上にも3年のつもりで来たアメリカ。 今年7月で30年を迎えました。
ここまで頑張ってこれたのは人との出会い。結果を怖がらず行動を起こす。行動を起こしたら良い悪いは別にして必ず答えが返ってくる。
生きていると必ず壁にぶち当たります。その壁が低かったり高かったり、分厚かっかり曲がっていたり・・・・・・でもその壁を乗り越えたらまた先が見えてきます。
そうやって誠実にハングリーに生きて行けば自然と自分に力がついてくるというか・・・・・・・苦労すれば人にも優しくなれますし。
あと一番大切なことは、健康でいることです。心も体もです。
私は8年前に母を亡くした時に医者の誤診や色んな事があって・・・・・・そのあとからパニック障害を発症しここ数年苦しんでいます。
表には出しませんが、仕事でのストレスも半端じゃないこともあります。
例えば今回、イチローさんのプライベーとサイン会では日本のファン様からイチローさんのゲーム実使用ユニホームやボール、3月21日引退日に使用されたボール、そして実使用ベースなど
中には100万円を超えるアイテムをお預かりしていたんですね。
もしそのアイテムを紛失したら、もしそのアイテムにご依頼通りのサインをイチローさんがしてくれなかったら・・・・・・・・・・もし、もし・・・・・。
不安だらけで、超プレッシャーから眠れない日もあるんです。
私はアメリカ人相手にビジネスをやっています。 アメリカ人はいい加減な人が多いんです。
言い方は悪いですが私はあまり人を信用していません。 沢山騙されたことがあるからです。
アメリカでは日本では信じられない、考えられないことが沢山起こります。 最近になって年のせいか、心配事、不安感が重なって襲って来ます。
でもそれで負けちゃいけないんですね。ポジティブ7:ネガティブ3で生きて行かねばならないんですよね。
仕事がら楽しく見せなきゃいけないんですよ(笑)。
一つのことを長くやっていくことは簡単ではないですよね。
でも長くやっていくといいこともあるんですね。 こうやってこんな私に興味を持ってくれる人が居てくれたり。
私のことが好きで商品を私からだけ買ってくれる人が居てくれたり。
私に会うためにわざわざアメリカまで来てくれたり・・・・・・・。
私は0型のせいなのか、人を喜ばせるのが好きみたいです。
私もコレクターですのでコレクター様の気持ちをいつも忘れないように気をつけています。
私の会社、私を知らない人はすべて不安に思うでしょう。
ですから少しでもその不安を減らすために私は自分の顔やプライベートをHPやfacebook,インスタなどのSSNでさらけ出しております。
私のプライベートのfacebookを見ると私という男がどういう男かがわかるようになっております(笑)。
「馬場様のその気持ち(力・精神)とは何になりますか。?」
お客様が喜んでくれて私に感謝してくれる。
このことが私の力・精神に繋がってここまっで続いていますね。
まぁー簡単に言えばこんな感じですかね。
でもまだまだお話ししたいことはありますよ。56年も生きてるんですから(笑)。100のうち20くらいお話ししました。
最後に一番大切なのは健康です。
健康であればチャンスはあります。
ここ数年で私の親類、友達、などまだまだ若くして何人もこの世を去りました。
まだまだやりたいことを沢山残したまま、無念の死です。
私の親友で失明した人もおります。
生きているほぼ健常な私たちの悩みなんてちっぽけなもんですよ。きっと。
さぁー今日も前を向いて一歩ずつ歩いていきますか。